イギリスの歴史のお話しパート2:カクテル・ブラッディマリーの由来 Queen MaryⅠ

Mary 1世 (1516-58)

 

このメアリー1世、「プロテスタントでいることが犯罪」だと、なんと286人を処刑したそう。これが名誉ある?「ブラッディマリー」(血まみれのメアリー)と後世まで呼ばれるニックネームの所以なのです。

 

 血に見立てたトマトジュースで作ったお酒のカクテル「ブラディーマリー」の名前は、はここから来ているのです。

 

その詳細を知りたい方は、下の歴史をどうぞ。

 

【王位に就く】

時は1553年、ヘンリー8世(6人の妻をめとった豪快な王)の後、その後王位を継承した体の弱いエドワード6世が風邪をこじらせ肺の病気でなくなると、メアリー1ヘンリー8世の最初のお妃、スペイン人キャサリン・オブ・アラゴンとの間の王女・写真)が王位に就きました。

 

彼女の母親だったキャサリン・オブ・アラゴンが、ヘンリー8世と結婚した当時は、キリスト教は、ローマ・カトリック教しかありませんでした。

 

しかし、浮気性のヘンリー8世、別の女性を好きなってしまい、どうしても離婚がしたい。しかし、離婚が許されていないカトリック、離婚を訴えた裁判で負けてしまったヘンリー8世は、自分が党首の宗教を作ってしまった。それ以来、プロテスタント派(新教)ができたのです。自分の個人的な事情で宗教さえも創ってしまう、無敵の王、父であったヘンリー8世。

 

【彼女の宗教と、ブラディマリー】

さて、当然、スペインから来た母親のキャサリン・オブ・アラゴンはカトリック派。その娘の王女、メアリー(Maryマリーとも発音)も、カトリック派。

 

当時のイングランドでは旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)が激しく対立しており、どちらの宗派の王が即位するかで勢力図が一変する可能性があるため、王室の側近も巻き込んで醜い攻略戦が繰り広げられていたんですね。

 

若い時の方がきれい? 
若い時の方がきれい? 

その後、頑迷なカトリック教徒であるメアリー1世が王位に就き、周囲の反対を押し切って、母親の国スペインのフィリップ2世と1554年結婚。

 

このメアリー1世、「プロテスタントでいることが犯罪」だと、なんと286人を処刑したそう。これが名誉ある?「ブラッディマリー」(血まみれのメアリー)と後世まで呼ばれるニックネームの所以なのです。

(この冷血さは、父親譲り? ヘンリー8世も6人の妻の内、2人を斬首の刑にしています。)

 

血に見立てたトマトジュースで作ったお酒のカクテル「ブラディーマリー」は、はここから来ているのですね。

 

彼女は即位した、たった五年後の1558年、病気で亡くなっています。プロテスタント迫害が長く続かなくてよかったかも。

しかし在位5年、年間57人に殺していたことになり、その処刑法は火あぶりだったそうです。あまり庶民に人気名のない女王だったらしいですが、不思議でないです。

 

【絵画の中のドレス】

ちなみに、このトップにご紹介した絵は、そのフィリップ2世との結婚式のすぐ後、1554年に描かれたそう。ドレスと同生地でできた、ワイン色のベルベットのパートレット(チューダー時代の衣服、胸元と襟を覆うボレロのような物)の襟元から垂れる大きなダイヤモンドのネックレスには、これまた、58カラットあったという「La Peregrina」という名前が付いた、当時はごく希少な大きな黒真珠が付けられています。

フィリップ2世からの婚約の記念に贈られたものだそう。

 

豪華な衣装が大好きだった彼女、この華やかな「正装したドレスでエレガントで荘厳(elegant and magnificent)」なご本人の絵の仕上がりにご満悦だったそう。