冬の花火とガイ・フォークスの残酷な処刑

11月5日はガイ・フォークス(Guy Fawks) デーとういう日で、あちこちで花火が打ち上げられ、サゾーク公園での花火大会に行ってきました!(しかし、短いので15分ほど?)

 

このガイ・フォークス・デイ(またはナイト)は、11月5日に開催されるイギリスだけのイベント。 花火は、ここイギリスでは、11月に打ち上げられる冬の風物詩です。 これを書いている今も、きっとこの週末9日までずっと花火の音が聞こえるはず。

 

で、なぜガイ・フォークスデイと花火?



それは、このガイ・フォークスデー、Guy Fawks、その裏には結構残酷なお話しがあるのです。

 

時はさかのぼり1605年11月5日、王が国会を開会するために訪れる日、議事堂を爆発させ、プロテスタント(キリスト教)であった王のジェームス2世を暗殺、カトリックが権力を取り戻す目的の計画が立てられました。 密告により未然に終わったこの事件がGunpowder Plot(火薬陰謀事件)。 

 

ガイ・フォークス(Guy Fawks)は、戦争経験があり火薬を使うことに慣れていた兵士で、誘われて後から入った、ただのメンバーでした。(ロバート・ケイツビー(Robert Katesby)が首謀者)


火薬が詰められた大樽36個が、議事堂の地下の倉庫に運び込まれした。 危険を知らせる書簡により、火薬の樽が発見されたとき、彼はそこで番人をしていたため、事件の筆頭者として捕えられ、ひどい拷問がはじまったのです。

上の銅版画が、唯一残っている全員の肖像画。右から2番目が首謀者で、絶対的敬虔なカトリック信者だったというロバート・ケイツビー。その左横にいるのが、Guy Fawks。スペイン語でGuidoは、英語のGuyのこと。

 

メンバー左から、

トマス・ベイツ (Thomas Bates)

ロバート・ウィンター (Robert Wintour (Winter))

クリストファー・ライト (Christopher Wright)

ジョン・ライト (John Wright)

トマス・パーシー (Thomas Percy)

ギド(ガイ)・フォークス (Guido (Guy) Fawkes)

ロバート・ケイツビー (Robert Catesby)

トマス・ウィンター (Thomas Wintour (Winter) 

 

この絵は、「7人の貴族」というタイトルが付けられいるけれど、しかし、実際は、左端にいるBateは、首謀者Catebyの使用人だったそうで、「不運にも巻き込まれた存在」といわれています。1人だけ帽子をかぶっていません。

 

この計画に関わった人たちは、まだほかにもいて、クリストファー・ライト(Christopher Wright),ジョン・グラント( John Grant), アンブローズ・ルックウッド( Ambrose Rookwood), サー・エヴェランド・ディグビー(Sir Everard Digby)そしてフランシス・トレシャム( Francis Tresham)。

 

有力な説として、このトレシャムが、当日国会に行かないよう警告を与える無記名の書簡を、義弟に送ったと言われていて、これが発覚の原因となりました。


ガイ・フォークスの逮捕の図
ガイ・フォークスの逮捕の図

 

メンバーは、ほとんどが料理人や使用人を持つ貴族で、その使用人からの裏切りで捕まった人たちもいました。

 

メンバー全員が、銃撃や、または裁判の後「hang, drawn, quartered」(首つり、水没、4つ裂き)という方法で処刑されました。 これは、その一つだけでなく、順番にすべてが施行されました。

 

その処刑の仕方は、いかにも中世らしい残忍なやり方で、今で言えば中東のテロリスト並み。 まず性器が切り取られ、本人の目の前で火の中へ、その後首つりとなるが、短い時間のため、まだ息がある状態で腸が抜かれ、その後で頭部と体を4つ裂きとされるという、なんと残忍な処刑の仕方。 

 

その後、その部分になった遺体は一般人への見せしめに路上に展示。ロンドンブリッジに頭部が、四つ裂きにされた部分は、各地に分散されて、今後の見せしめにされたそう。

処刑の地、House of Parliament 国会議事堂横の「Old Palace Yard」。
処刑の地、House of Parliament 国会議事堂横の「Old Palace Yard」。

ガイ・フォークス・デイは、その後近年まで、ガイ・フォークスに見立てた人形をを日中引きづり回した後、夜にたき火をして、この人形を燃やすBonfireをする習慣が続いていました。 残酷ー。

 

しかし、最近、特にロンドンでは、失敗した爆破を模して、花火だけを上げるという習慣がお祭りとして残っています。 (民間レベルではたき火もあり)

 

しかし、そもそも1500年代、6人の妻をめとったヘンリー8世という豪快なキングが、離婚をしたいがために作った国教会(プロテスタント)。 それ以来、キリスト教が2分されることとなった結果、悲惨な歴史が繰り広げられることとなりました。 

 

11月5日は、1859年まで王の安全を祝い、「命を救い給うたまうたことを感謝する日」として祝日となっていたが、現代人はパーティをする口実と、花火を見るイベントの日となっています。

 

何はともあれ、花火をエンジョイ。 今週9日まで皆の花火が聞こえるはずです。