VIPさま 専用車でロンドンと大英博物館を訪問

昨日まで4日間、当サービス専用車の高橋が、VIPお客様をお仕事と観光のご案内に送迎していました。

 

ここだけの話、最近、会社の社長さま、法人の方のご利用を多くいただいています。ありがとうございます。

 

これはやっぱり、みなさん、専用車で移動をされたい=徒歩で歩くのが心配?ということでしょうか。

(Very Important Peopleの方は特に)

 

ロンドンに住んでいる私たちは、その不安感はあまり無いのですが、まあ、社会情勢の心配は避けられません。

 

さて、4日間、専用車で移動をされましたが、大英博物館だけ、徒歩で(館内なので当たり前)ご案内させていただきました。私のお話は、美術品が発掘された歴史背景が中心です。

ついでですが、高橋の車は、後部に6名、運転手席横も入れると合計8名が乗車できます。日本人運転手でこの大型車を持つのは、「ロンドンに一人 」です。貴重な存在ですね。右が高橋。

 

さて、大英博物館にお話を戻すと、上部写真のメソポタミア文明のハンニバナパルの宮殿の廊下に飾られていたというこの石の彫刻の壁は、ライオンハントと名付けられています。現在のイラクに当たる所にあったアッシリア帝国(ニネベ)で発掘。

 

この発掘には、1877年の当時、まだオスマン帝国の支配下だった頃、アッシリア・メソポタミア人(現在でいうイラク人)であり、ブリティッシュ(帰化した英国人)になったホムード・ラッサムが大きく寄与し、彼は発掘しました。

からは、その他、楔文字が書かれたタブレットや、門のなど、他、重要なメソポタミアの文化の発掘をしています。

 

しかし、残念なことに、現在、彼の名前は、この発掘品の説明書きには全く出てきません。

大英博物館のサイトで、ちょっとだけ彼のことが書かれているページを見つけましたが、ほとんどその功績を讃える名声や財産はなかったと伝えられています。

 

彼の功績には、外交官としてエチオピアで人質になった英国人外交官の救出など多くを貢献したものの、19世紀の階級制と人種差別の波に揉まれて消え去ってしまったようです。

 


 

他エルギン・マーブルと呼ばれる、パルテノン神殿の「白い」彫刻群。1920年代に起きた大博物館の隠匿スキャンダルと、現在も続く、この遺跡のギリシャへの返還問題は、「エルギン伯爵は盗んだのか」、「正当に許可をもらって持ち出した」のか、これもオスマントルコ帝国時代が関連していて面白いですよ。

 

当サービスガイドをご利用の時に、続きはお話しさせていただきますね。