今日見る、1997年BBC1で赤裸々に語るダイアナ妃の衝撃インタビュー

プリンセス・ダイアナのインタビュー。

1995年11月に、BBC1パノラマという番組で放送されたマーティン・バシャーのインタビューによるもの。

 

日本から来られる方たちが、いまだによく口にされ、質問があるのが、このダイアナ妃のこと。1997年8月に亡くなり約20年が経とうとしている今日でも、皆の心に生きているダイアナ妃。

 

彼女が亡くなったころ、まだ英語がおぼつか無かった私は、日本のテレビや週刊誌を通してニュースを知り、生前のダイアナが話すところを聞いたことがなかった。

 

2015年のこんにち、Youtubeで偶然発見した彼女のインタビューは、その答え方、間の取り方、余計なことは話さず的確に、比喩を加えながら説明する様子は、とても皆が口にする「頭の悪い」彼女のイメージとは真逆の印象を与え、感心さえする。

 

彼女はこのインタビュアーの人を信用してこのインタビューを受けたことが伺える。とても話しづらかっただったろう(産後のうつ病を含む)摂食障害(過食、その後嘔吐する)、自虐症(セルフハーム)のことまで赤裸々に答えている。

 

彼女に対して精神的に弱い、センシティブな印象を持っていた私としては、彼女自身の言葉で、「私は強い人間だから」「彼女は(自分は)黙っておかないわ、最後まで戦う。育てる責任のある2人の子供もいるから」と語っている。

 

チャールズ皇太子との亀裂の発端は、「なぜかわからないメディアの私への注目」に対するチャールズの嫉妬が原因だったといい、それが彼の彼女への無関心となり、共同の公式行事も彼から、別行動を言い渡され、離婚も彼から提案され、当時、彼女は別離も離婚も決して望んでいなかったことも言っている。

 

Interview: 'Do you think Mrs. Camila Parker Bowl is the break‐down of your marriage?'(カミラ・パーカー・ボールさんが、結婚の崩壊の原因だと思いますか?)

Diana:'Well, we are three of us in our marriage, a little bit clouded.'

(そうね、私たちの結婚には3人がいたから、少し混んでいたわね。)(そして目を伏せる)

 

抽出して、現在でも何度も使用されるインタビューのこの部分は衝撃的で、事実を知った時の彼女はショックで打ちのめされたと言っている。

 

「それを発見した後、どうしたのか」という質問に、ダイアナ妃は子供たちの学校へ急ぎ、特にウィリアムに説明したと説明する。「人生で幸運にも愛する人ができたら、その人一人を人生最後まで守り抜くのよ。」ウィリアム「なに、いったいどうしたの?」

 

ウイリアム皇太子とケイト妃のカップルで断然に取り戻した王室の人気も、ダイアナ妃とチャールズ皇太子がこのバトルを交わしていた頃の1992年、またダイアナ妃が亡くなった1997年、その後数年間は、王室史上初めての離婚となった彼女を敵視し、チャールズ皇太子を保護する王室は、史上最悪と言っていいほど人気がなかったといわれている。

 

19歳で純粋にチャールズに恋をして結婚したものの、その後、彼女の王室のメンバーらしからぬ民衆に近づく彼女の態度が、カリスマ的ともいえる絶大な人気を作り、王室(女王やチャールズ皇太子)の嫉妬となったことが、すべての崩壊と戦いの原因になったことがうかがえる。

 

いまだにたくさんの人々の心に生きている「民衆のプリンセス」ダイアナ妃。生きていたらきっと、魅力的なお母さんであり、引き続き世界を虜にする女性になっていただろう。


私個人的にひっかかることがある。

当アーカイブのブログでもご覧いただける、「チャールズ皇太子のもう一人の愛人」のビデオの彼女は、病院の窓から誰かに突き落とされそれが原因で容体が悪化、不審な死を遂げている。

ダイアナ妃の事件も不審な点が多く残され未解決となって、不慮の事故で亡くなっている。この2つの事件に何か共通するところがあると感じるのは私だけだろうか。

 

追記だが、ダイアナ妃のメイクの仕方、また長身でスレンダーでスポーティなところが、ケイト妃とそっくり。ウィリアム皇太子がなぜ彼女に魅かれたのか容易に納得できる。

(人々やメディアの注目を気にしないところは、ダイアナ妃よりケイト妃の方が精神的に強いと噂されている。)

 

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