ハンプトンコート宮殿 ロンドン郊外に16世紀の宮殿を見る

ずっと行って見たかったハンプトンコート宮殿へ行ってきました。

 

住所は、どうも近年変わった(?)らしく、もとミドルセックス州、いまは、サリー州のリッチモンド地区になるそう。ロンドンのウォータルー駅から列車で30分。しっかりロンドン郊外です。

 

下は、女王と王の紋章のライオンとユニコーンが飾られた門と、裏庭の1キロメートルはあるロングウォーターといわれる長い池のはじまり、バックガーデンの様子。(クリックすると大きくなります。)

これが、悪名高いヘンリー8世、6人を妻にしそのうち2人を斬首。
これが、悪名高いヘンリー8世、6人を妻にしそのうち2人を斬首。

1512年に、浪費家(見栄っ張り?)だったトマス・ウォルジー大司教(日本語では、「ウルジー」と訳されてますが、発音はウォルジーWolsey)が、7年をかけて当時の英国で最大級の宮殿を作った。

 

それを当時のキング、ヘンリー8世が嫉妬したことで、この手塩にかけて作った宮殿を「進呈」したそう。そうでしょう、ヘンリー八世の機嫌を損ねたら自分の首が危ないですから。

(壁に飾られた、オランダ(?)の女性の肖像画のコメントに、「もし私に首がふたつあったら、あなたの求婚を受け入れるけれど、あいにく一つしかないので」と冗談をいって、このヘンリー8世の求婚を断っている逸話がある。)

この壁の風景はすべてフレスコ画。絵画なのです。まるでよくできた壁の装飾か、窓から見える風景のよう。
この壁の風景はすべてフレスコ画。絵画なのです。まるでよくできた壁の装飾か、窓から見える風景のよう。

ウォルジー大司教は、当時の流行だったイタリア・ルネサンス建築時代の枢機卿の宮殿を理想として、建築計画したそう。

 

1600年代のイタリア建築の影響がいまだに色濃く見れるのは、内装のあちこちにみられるフレスコ画が、それを物語っています。写真の中のギリシャ神殿風の柱と風景は全くの絵画。遠くからみたら本物に見えます。

 

王の謁見室の天井柄の絵は、立体的に見えるように、中央に向かって小さくなり、天井が実際よりも高いように思わさせる、目の錯覚を利用した絵柄になっています。

 

王室の宮殿として使用されたのは、1525年頃のチューダー王朝、その後のスチュアート王朝時代まで、1760年以降のジョージ3世以降は、ロンドンのケンジントン宮殿を好んだとして、使用されなくなったそうです。

 

 

住人が変わるたび改築、増築が行われ、ヘンリー8世により、大ホールとテニスコートが作られ、その後ウィリアム3世、メアリー2世の時代、新しいウィングが増築されたり、セントポール大聖堂を建築したクリストファーレンが手掛けた部分や、その建築物は巨大で複雑に入り組んでいます。

(下が、そのマップ)

途中で、カメラのバッテリー切れで撮れなかった王のワインセラーには、数十というワイン樽がある部屋があったり、肉をさばいたブッチャールーム、魚は外気温で保存した部屋、大鍋などキッチンもおもしろかったですよ~。

 

写真では小さく見える、人の身長の高さがあるキッチンの暖炉は、ローストビーフを何時間もかけて作られたそうです。当時は、簡単にできるオーブン料理でなく、数時間かかるローストビーフは、高価な料理で、外来のお客に、ふんだんにローストビーフがふるまわえたことは、その権力を誇示し、外来客を驚かせる目的でもあったそう。1500年代、ヘンリー8世の食の8割が「肉」だったそうなので、いかに王が権力を持ち、いい食事をしていたかが伺われますね。

 

下の写真は、8000人分の食事を作った大キッチンの6基の釜戸と、噂の暖炉。

そして、これは一目瞭然。ウィリアム3世王が使用した一番奥の部屋の書斎すぐ横にある、いちばんプライベートな部屋。

 

そうです、ベルベットで覆われたシートのトイレ。この箱の中には、陶器製のポッテリ―(陶器のツボ)があり、侍従が取り替えていました。

 

正面から写真を撮ろうと足が1っ歩入った途端にアラームが鳴り響き、警備の人が飛んできて、ほか観光客の皆さんの注目の的に!(失笑)

 

しかし、これは私には、いちばん興味深かったです。いちばん生活感が感じられますね。王も人間だったのです。

 

(この時は気が付かなかった、このトイレのすぐ横の壁には、なんと隠しドアがあり、重要人物(愛人含む)が直接王に会うための階段が隠れているところが、BBCドキュメンタリーで発見! 13人の愛人がいたチャールズ2世は、特にこの階段を使ったことでしょう。

 

皆さんも、ご訪問の際は、気を付けて見てみてくださいね。

 

【ロンドン個人ガイドサービスの詳細はこちらから