ダヴィンチコードの12世紀教会と法律事務所の関係:テンプルチャーチ

テムズ川とストランドの間に、テンプルチャーチがある。

このテンプルチャーチは、近年の映画ダン・ブラウンの「ダヴィンチコード」が撮影されたところと言えば、皆さん興味が湧くかもしれません。

 

十字軍の紋章が建物のあちこちに
十字軍の紋章が建物のあちこちに

時は古く1185年、テンプル教会は、修道士であり兵士でもあったテンプラー騎士団(The Kights of Templar)によって、聖母マリアをまつり建てられた教会です。

 

このテンプラー騎士団は、エルサレムにあったキリスト教の聖地へ巡礼する修道士の道の安全を守るために形成され、また十字軍遠征を行ったその騎士団だったんですね。このテンプルチャーチはこの騎士団の本拠地だったんです。

 

決まった時間と曜日にしか入れないので、事前チェックが必要。それとダヴィンチコードの映画に使われたその場所も確認にしましょう。

 

しかし、50数年後、聖地エルサレムは、古代アラビア人のサラセン人(キングソロモンと言われれば知ってますね。)に奪回されてしまい、彼らの使命は終結することとなります。それが、1312年のこと。

 

その後、移り住んできた法律家たちがこの地を利用するようになり、2つの組織を形成し、それが、ミドルテンプルとインナーテンプルと名付けらることとなり、現代の方知る事務所や法律の学校が連なるエリアの元となりました。


この名は、1388年に書かれたマニュスクリプト(手書きの古文書)に登場することなり、現在でもその名が使用されています。

 

14世紀当時になると、オックスフォード大学やケンブリッジ大学と同じスタイルの寄宿舎学校になり、学生に法律を勉強する場、宿と食事を与える目的で建設されました。

 

16世紀には大きく発展し、ホルボーン駅近くにある、Lincolin's Inn, Gran's Innとよく聞く住所は、その生徒が寝泊まりする寄宿舎の名前だったのです。

 

現在のInner Temple、Middle Templeの豪華な建物は、1666年のロンドン大火、第2次大戦などで一部崩壊し修復されたものですが、現在はそのほとんどは法律事務所がひしめき合ったオフィスビルとして使用されています。その中の素敵なガーデンや、教会は 一般人にも自由に入れます。

 

下がそのガーデンの様子。小さいけれど、美しく管理されています。お昼12-3pmの3時間だけ中に入れます。

(参考※ Inner Templeは、イギリスの現代の4つある法曹院のその1つである。法曹院は法廷弁護士養成・認定に関する独占的な権限を持ち、イングランドウェールズすべての法廷弁護士および裁判官は4つの法曹院のいずれかに所属することが法律によって義務づけられている。)

 

その噴水がある広場で、イギリス時代劇ドラマ Downton Abbey の撮影風景に会いました。数百年前のと変わらぬ風景は、この1900年代初頭の車がぴったり納まり、現代の私たちをタイムスリップさせてくれました。

 

ロンドンには、こんな隠れた観光ガイド本にない、歴史の建物を歩いて感じる事ができるのが、その醍醐味ですね。

 

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