不思議の国のアリス、ルイス・キャロルのダークな世界

不思議の国のアリス(Alice in Wonderland)が出版された1865年から、今月の4月にちょうど150周年になる。

 

クライストチャーチ(オックスフォード大学)教会の司祭だったアリスの父ヘンリー・リドル とその一家が住む学生寮へ、ルイス・キャロル(=本名チャールズ・ドッジソン、数学者・論理学者)が移って来たことで、このアリスとの出会いが始まる。

 

アリスは、父ヘンリー・リドル(Henry Riddle)の3人姉妹(ロリーナ13才、アリス10才、エディフ8才)の真ん中の子どもだった。この3姉妹と、ルイス・キャロルは非常に近い関係を持つようになる。


いろいろ調べていくと、このルイス・キャロル(=チャールズ・ドッジソンCharls Dodgeson)と、この3人姉妹のダークな関係が露わになり、子供の夢のワンダーランドのお話しにやや影を残すようで、このお話をブログにすることを躊躇したけれど、日本ではあまり知られていない事実はある意味興味深く、書くことにした。

 


 1862年7月4日、3人姉妹(ロリーナ13才、アリス10才、エディフ8才)と、ルイス・キャロル(=チャールズ・ドッジソン, 以後ドッジソン)とオックスフォード大学の友人と、フォリーブリッジ(FollyBidge)から5マイルの所のゴッドストウ(Godstow)までボートで川下りに出かけた。 

 

その時に、ドッジソンが子供達に即興で話したお話を、アリスがたいそう気に入り、お話を書いて欲しいとねだった。それが現在の不思議の国のアリスの原型になった。

 

その手書きの原本が右の写真になる。

 


 その1年後の1863年6月に、同じようにこの3姉妹と、ドッジソンがボートトリップに出た時に、何かがこのボート上で起きた。このことをミセス・リドル(3姉妹の母)が激怒し、その後リドル一家とドッジソンの関係は決裂している。

 

ドッジソンの日記も同年6月27日−29日が破られ、記録が残っていない。


乞食のファッションを身につけたアリス。裂けた服の方を落とし、やや悩ましげなポーズを取っている。チャールズ・ドッジソン撮影
乞食のファッションを身につけたアリス。裂けた服の方を落とし、やや悩ましげなポーズを取っている。チャールズ・ドッジソン撮影

左の写真は、アリス・リドル(Alice Riddle)。3人姉妹の真ん中の彼女は、一番可愛くダークなショートヘアに裕福な家庭の子らしく、おしゃれな服を着て、「豪華なドレスを着た、かなりお人形のようだった」そうだ。

 

チャールズ・ドッジソン(ルイス)は、彼女に憑かれたように写真を撮りまくった。そのドッジソンとアリスの様子を垣間見せてくれるのが、この写真。破れた服を着たアリスの片方の肩は落ち、悩ましげなポーズをする物乞いのベガーの扮装したこの時、アリスは8才。ドッジソンは、このアリスに恋をしていたらしい。

 

1852−1862年、ドッジソンとアリスの尋常でない親しい関係はすでに、彼が通うオックスフォード大学でかなりのゴシップになっていた。噂によると、彼は、アリス(この時11歳)との結婚を申し込んだものの、アリスの両親から突き返されたとも言われている。この時ドッジソンは30歳。

 

このビクトリア時代にカメラを持ち、写真を撮影することは、化学の知識と、美術の目と、多大な忍耐強さを要したと言われている。

 

自分の不幸せな子ども時代を背景に、ドッジソンの多大なる興味は少女たちを写真に収めることだった、それもヌードで。

 

ドッジソンは人生の後期でこう語っている。「女の子の12歳くらいが一番理想の形をしている」フロイト前の悪意のない言葉はつづく。「可愛らしい女の子の形(体)をどうして隠すことがあろうか」(“why the lovely forms of girls should ever be covered up”)

 

静かな性格だったチャールズ・ドッジソン(ペンネーム:ルイス・キャロル)
静かな性格だったチャールズ・ドッジソン(ペンネーム:ルイス・キャロル)

しかし、別の資料によると、ミセス・リドルが激怒し、ドッジソンとの関係を絶った理由は他にあったとも書いている。

 

それは、3姉妹の長女、ロリーナ・リドル(Lorina Riddle)だった。ロリーナ(13才)が、ドッジソンに異常な親近感をもち傾倒したため、母親ミセス・リドルが心配し彼との関係を絶った、ドッジソンがロリーナを誘惑したのでなく、その反対だったとも言われている。

 

ドッジソンはたくさんの少女のヌード写真を撮ったことが知られているらしいが、ロリーナのヌード写真(少女が大人に成長する過程の胸の膨らみがある)が残っており、これが、母親が激怒し家族がドッジソンとの関係を絶った大きな要因となったとも言われている。

 

しかし、実際の不思議の国のアリスの挿絵に使われたモデルは、ドッジソンの別の少女の友人マリー・ヒルトン・バドコック(Mary Hilton Badcock)だった。Riponの司祭の娘だった。

 

ドッジソンは彼女の写真を、イラストレーター(雑誌パンチの風刺漫画)サー・ジョン・テニエルに送り、現在の知られているアリスのイメージが出来上がった。(テニエルは、写真をモデルにすることを拒否したとも言われているが)

 

その後、2000部の(イラストの印刷のクオリティーを)テニエルが認めなかった初版を除き、1885年、12万部が刷られ、この物語は大成功を収めイギリスを代表する作品となっている。

 

 

 

 

 

興味がある方は、BBCドキュメンタリー「The Secret World of Lewis Carroll」(ルイスキャロルの秘密の世界・英語)で詳細をどうぞ。


このブログは、イギリス・ロンドン個人ガイド サービスStyle gateにより書かれています。


参考資料:http://aliceinwonderland.wikia.com/wiki/Lorina_Liddell

http://www.theguardian.com/books/2015/mar/22/the-story-of-alice-robert-douglas-fairhurst-lewis-carroll-alice-liddell